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「別れ」の苦しみは必ず乗り越えられる

2010年2月15日 14:46 | | トラックバック(0)
愛別離苦

さて、今日はいつもとちょびっとテーマを変えて、「別れ」についてのお話しを書いてみようと思います(=゚ω゚)ノ


少林寺拳法は、外の人が名前だけを聞くと、「あー、武道団体ね」という印象があるのは間違いないんですが、中に入ると、思いのほか「心の修行」についても一生懸命勉強することがよくわかると思うんですね。

少林寺拳法の「心の修行」の元になっているのは、仏教を作ったお釈迦様の思想になるんですが、お釈迦様と聞くと、仏壇の中に立ってるアレか?と思ってしまうかも知れない。

まぁ、それはそれで間違いではないんですが、少林寺拳法の中でお話ししている「お釈迦様のお話」というのは、いかに「困難に立ち向かえる勇気を身につけるか」という話で、どうやって楽して極楽に行くか、なんていうお話しはしません。

お釈迦様が生きているときに説いたお話しというのは、「頼りになる自分をつくりなさい。そして、法を頼りにしなさい」という事なんです。お金を積んだら、極楽浄土の何番目にいけるとか、ウンタラカンタラなんていう話はしなかった。

この「法」ってのが何かという事になると、色々と難しいお話しになってしまうので、その中から一つだけ取り出して書いてみようと思います(=゚ω゚)ノ


■愛する者との別れは、苦しみである■

四苦八苦なんていう言葉にも残っているように、お釈迦様は人が苦しむ原因は8つあるといいました。その中の一つに「愛別離苦(あいべつりく)」というのがあります。

愛別離苦ってーのは何だよというと、「愛する者と分かれることは苦しみである」ということ。

元々は子を産んだ親が、その子が幼くして死んでしまったことに嘆き悲しんでいる姿を見て、お釈迦様がおっしゃった言葉になる。

別の言葉に置き換えてみても、例えば、「親より先に子供が死ぬのは親不孝」、とか、「親孝行 したいときには 親はなく」みたいな言葉にあらわれているように、死別によって苦しむ姿が見てとれます。

これをさらに現代風にアレンジしてみると、「好きだった恋人と別れることは、苦しみである」とも言えると思うんですね。


■支部長の昔話■

もう十何年も前の話ですが、僕は大学時代に付き合っていた彼女が居た。

分かれた原因は、僕がNYの会社に行くっていうんで、遠距離恋愛とかなんとかいうレベルの距離の話ではなくて、日本のま裏に行ってしまうわけで、インターネットもまだ出だしたばかりで、今みたいに簡単にWebカメラで顔を見る、なんていう事が出来ない時代でした。

相手も年上の人だったのもあって、元々付き合っている時から「結婚出来たらいいね」なんていう話もあった。

だけども、NYに行くというのはいつ戻ってくると言うのがはっきりしていない話でもあったし、年上の彼女をそのまま日本に残して、年に一度会えるかどうかわからない状況で、電話もない、手紙もない、なんていう事は、やっぱりお互いのためにはならないと思って、別れました。

喧嘩別れしたわけではなかったので、そのときはとてもとても微妙で複雑な気持ちになったのを今でも覚えています。

その後、3,4年経って身体をこわして大阪に戻ってきてから、年賀状だったか、あるいは何かしらの手紙だったか、とにかく二回ほど手紙を送ったんです。そのときは返事はありませんでした。

そして、大阪に戻ってきてから5年目ぐらいかなぁ、年賀状を送ったら、返事が来ました。

内容は、

「お元気そうですね。私も元気にしています。ただ、私は今結婚をして子供もいます。なので、やっぱり過去に付き合っていた人からお手紙をいただくのは、主人に悪いので...また、街で見かけることがあったなら、笑って挨拶できるといいですね」

と書かれてありました。

この手紙は文頭は「北野くん」と書かれてあったのが、文末には「ひろくん」になっていたのが、とても胸を打たれました。というか、泣きました(つд`)

彼女は、僕がNYに行くときにあれだけ泣いて悲しんだ過去を、今は「大切な思い出」として胸にしまい、新しい生活を見つけ幸せに暮らしているんですね。

この手紙を読んだとき、ほっとしたのと同時に、そのときの彼女にした僕の数々の悪行(?)を思い出すと、ただひたすら謝りたい気持ちでいっぱいですが、まぁ、それは今はおいといて。


■どんな時にでも「別れ」はある、でも必ず乗り越えられる■

僕の恋バナはどうでもいいんですが、要するにどんな人間関係であったとしても、「別れ」は必ず来るんです。


何故か?


お釈迦様のおっしゃった苦しみの最大の原因は「人は生まれ落ちたときから、死に向かって誰もが進んでいること」だからです。


両親の元に生まれた子供は、いずれその両親の「死」でもって別れなくてはいけない。

一生の愛を誓った夫婦であったとしても、どちらか一方が必ず「死」でもって、別れを迎えなくてはいけないんです。


「愛別離苦」は逃れることの出来ない「苦しみ」であり、例え「死」でなかったとしても、人と人とのつながりは、何かしらの「別れ」がつきまとうものであることは、決して忘れてはいけないことなんです。

だからこそ、お釈迦様はおっしゃいました。


「苦しみの原因を知りなさい。そして、その苦しみにとらわれることなく、自分を頼りに、法を頼りに生きなさい」


と。


僕は、「愛別離苦」は避けられない事実だと思います。だから、それを乗り越えるためには、「過ぎ去った過去は、大切な思い出にはしても、それを取り戻したいと願ってはいけない」と思っています。


亡くなった両親が「今生きていて欲しい」と思う気持ちは、そうならない現実があるから、苦しむ。

別れた恋人と、あのときNYに行っていなければ、と思ってしまうと、そうしてこなかった自分の行いに苦しむ。


苦しむっていうのは、自分が望んでいる結果にならないから、苦しむんです。だから、


亡くなった両親との思い出に感謝しよう!

過ぎ去った恋人との思い出には感謝をしよう!


それが、「別れ」にとらわれない最良の方法で、その感謝の気持ちを常に持ちながら、「今を大切にする」ことが、「愛別離苦」の苦しみを乗り越える一つの方法だとおもいます。


コップに注いだ水をこぼしてしまったら、その水は元にはもどりません。でも、新しい水はくむ努力をすれば、必ずくむことが出来るんです。


過去の人々には感謝を!
今いる人々とのつながりを大切に!
そして、新しい人々との出会いに希望を!



少林寺拳法は、こんな話をする団体です(笑)←なんちゅーオチ


(北野)

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